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「サーボブレーキ」の検索結果 25件

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  • 2021.08.05

ブリヂストン「BLOUSON」ブレーキ交換レポートVOL4・前輪にもドラムブレーキ・巨匠ジウジアーロデザイン

レポートVol3までは、後輪ブレーキの交換の様子を紹介しました。 今回は前輪ブレーキの取り付けです。 BLOUSONの前輪には、 リムブレーキではなく、ドラムブレーキがついていたようです。 “〜ようです”と表現するのは、 持ち込まれた車体からはブレーキ本体が取り外されいて、 ドラムのみがついているという状態たっだだめです。 前輪をはずし、ついていたドラムをはずし、 バンドブレーキ取り付け作業をはじ […]

  • 2021.07.20

ブリヂストン「BLOUSON」ブレーキ交換レポートVOL3・後輪ブレーキ交換その2・巨匠ジウジアーロデザイン

前回のブリヂストン「BLOUSON」ブレーキ交換レポートVOL2・後輪ブレーキ交換・巨匠ジウジアーロデザイン のように、 ブレーキのクランクレバーの位置の違いのため、もともとついていたワイヤーの長さが足りないという問題が起きたので、ワイヤーを交換することになりました。 BLOUSONのブレーキワイヤーはフレームの中をとおっていて、 チューブごと全て抜いてしまうと再びフレーム内をとおす自信がなかった […]

  • 2021.07.02

ブリヂストン「BLOUSON」ブレーキ交換レポートVOL2・後輪ブレーキ交換・巨匠ジウジアーロデザイン

前回のレポートVol1のように、BLOUSONの後輪ブレーキはブリヂストンDINEX。 ハブの互換性バッチリ。ということで、同じ内拡式のKARASAWAサーボブレーキに交換します。 ブレーキワイヤーを外し、スタンドを外し、本体から車輪を外し、ブレーキケースを外し、 助っ人の技術顧問の登も登場しつつ、ここまではわりと順調に。 そして、いよいよドラム外しへ。 小さな市販の専用工具を使ってトライしてみた […]

  • 2021.06.14

ブリヂストン「BLOUSON」ブレーキ交換レポートVOL1・巨匠ジウジアーロデザイン 

イタリアの⼯業デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ⽒は アルファロメオ・ジュリアスプリントをはじめ、 デトマソ・マングスタ、マセラッティ・ギブリ、フォルクスワーゲン・ゴルフ、ロータス・エスプリ、フィアット・パンダ等、 ⽇本⾞では いすゞ・117クーペやピアッツァ、スバル・アルシオーネSVX、トヨタ・アリストなどなど その他数多くの名⾞を世に送り出しています。 その巨匠がデザインを⼿がけたブリヂ […]

  • 2021.03.02

トルクを効果的に伝えるための技術について

前回の記事のように、 計算上のトルクが大きくても、それが効果的に伝わらなければ制動トルクは小さくなってしまいます。 わたしたちは、止める対象に効果的にトルクを伝えるために、素材と機械機構を工夫してブレーキ開発を行なっています。 1.バンドブレーキ 記事:ママチャリのブレーキを意識したことありますか 記事:総冠式バンドブレーキの誕生とメーカへの転身(バンドブレーキ誕生と変遷物語・4話) 上記の記事で […]

  • 2020.12.21

最終話。現在のこと。未来のこと。〜バンドブレーキの誕生と変遷物語〜

前話までの通り、 バンドブレーキの問題点を解決したブレーキ・サーボブレーキは中国電動自転車の後輪ブレーキのスタンダードなり、日中におけるKARASAWAブランドが定着してきたように思う。 中国シェアサイクルの急拡大は記憶に新しいが、その自転車にもバンドブレーキが採用されている。 現在、日本では道路事情は格段に良くなり、 キャリパーブレーキやディスクブレーキなど、さまざまなブレーキを搭載した自転車が […]

  • 2020.12.02

NO.6 中国展開によるKARASAWAブランドの確立〜バンドブレーキの誕生と変遷物語

1990年以降、自転車業界は激変の時代に入る。 プラザ合意以後、 流通資本、完成車メーカーが相次いで台湾完成車メーカーからの調達を開始し、ウルグアイラウンドの自転車ゼロ関税化を経て、日本国内市場はノーガードの状態。 日本、台湾、いずれにおいても為替上昇、人手不足が著しくなり、自転車生産の場の中国大陸シフトが90年台に急激に進展していくこととなる。 平成2年(1990年)に日本の自転車協会が中国のパ […]

  • 2020.11.05

NO.4 総冠式バンドブレーキの誕生とメーカーへの転身〜バンドブレーキの誕生と変遷物語

雨による制動力低下と錆の原因はリムブレーキであるがゆえの問題だから、 これを解決するためには制動システムの発想の転換を行わなければならない、 と創業者、義之助は考えていた。 昭和初期のころ、自転車先進国イギリスから、 商品はもちろんのこと、自転車関連情報や資料もたくさん入ってきていた。 その資料の中の、バンドを引き絞ることで車輪を制動する仕組みを見た義之助は 「これだ!」と確信した。 じつはその仕 […]

  • 2020.10.20

NO3バンドブレーキ誕生のきっかけ〜バンドブレーキの誕生と変遷物語

運搬・移動手段として自転車の需要が拡大し、 国内生産が輸入を凌駕した頃の大正9年(1920年)、 唐沢義之助は東京御徒町に唐沢商店を開いた。 自転車の修理のほか販売も手がけ、自社ブランド「香号(かおりごう)」という完成車も販売した。 福神漬けの主悦の本店やカステラの文明堂などに販売した。 昭和のはじめころ、 大卒の初任給が45〜50円の時代に 自転車は1台70円〜80円する高価な商品で運搬具の花形 […]

  • 2020.10.09

NO2 自転車の歴史〜バンドブレーキの誕生と変遷物語

自転車は、ドイツで生まれ、フランスで育ち、イギリスが世界中に普及させたと言われている。 おおよそ80年間で急激な進化を遂げた。 自転車の始祖と言われるているのは、 1817年、ドイツで発明された「ドライジーネ」である。 馬は餌がいるし世話も焼けるから、機械の馬を作ろうというのがきっかけだった。 足で地面を蹴って進み、ペダルもブレーキもなく、 現代の幼児用トレーニングバイクと似たような、ハンドル付き […]